卒業生の声 宮川 健一さん

Graduate's Voice

人とは違う何かを求めて入った料理の道。
同じ夢を持った仲間、先輩たちとの出会いで更に夢が広がります。

RISTAURANTE KEN VENTIQUATTORO
宮川 健一さん

調理師科昼間部1年制卒(1988年3月)

「KIHACHI」南青山本店料理長を経て現在「RISTAURANTE KEN VENTIQUATTORO」オーナーシェフ。
季節、気候、土壌の質にまでこだわった食材選びと今までの経験を活かした繊細な料理作りでファンの多いシェフ。学園に講師としても訪れ、後輩たちの指導も行った。

熊谷喜八シェフが経営する「KIHACHI」を経て2011年9月6日にご自身の店である「リストランテ ケン ヴェンティクワトロ」を青山にオープンした宮川さん。料理の道を目指したきっかけや服部学園を選んだきっかけ、学生時代の思い出など、お話ししていただきました。

宮川さんが料理人を目指したきっかけは?

高校生の頃、友人たちは大学を受験する人が多かったんです。自分も勉強は嫌いではなかったんですが、周りの人たちと同じでは仕方がない、自分らしい道を、と考えた時に思ったのが料理の道でした。

そんな私ですが、実は少年時代は実家は厳しくて、父がいるとキッチンには入ることができなかったんです。
正に、「男子厨房に入るべからず」という考え方です。

唯一料理をすることが許されたのはボーイスカウト。河川を汚さない、食べ物を残してはいけないと教わりながら、自分たちで食事の準備をする経験は大きかったですね。
この頃に料理や環境、食べ物に関する考えができたのではないかと思います。

なぜ服部学園を選んだんですか?

何でも1番がよかったんです。実は二つの学校で迷っていたんですが、アルバイト先の先輩から「関東では1番だ」と服部を薦められました。
TVの料理協力も多かったですし、校長が出演していたり、と。
すごく面白い環境で、今でも薦めてくれた先輩には感謝しています。

学園生活で印象に残っていることは?

実技試験が印象に残っています。
西洋料理では時間を計ってシャトーむきを行ったり、オムレツの練習も何度もしましたね。

専門学校は大学とは違い、夢を同じにする学生が集まって積極的に学ぶところでしたね。
また学科で勉強した衛生法規などは、食の安全が問われる今の時代にすごく役立っていますね。

卒業してからはどんな仕事をしてきたのですか?

学校の紹介で「KIHACHI」に就職しました。
「KIHACHI」を選んだのはクラブデトラント(一流の西洋料理シェフによる団体)の本で熊谷喜八シェフの写真を見たのがきっかけです。
優しそうだな、と思ったことと「KIHACHI」がオープンしたばかりだったことも今思えば縁があったのかな、と思いますね。

就職してみて感じたことは?

最初に入った店のモーニングメニューでオムレツを200個焼いたんです。
服部の試験でオムレツの技術を練習した経験が生かされたと思います。
同じ店の同期は、他の専門学校出身の人が3人いて、負けたくないと思いました。

大学進学をせずに料理に進んだことで給与面などでは大きな開きが出ましたが、それだけハングリーに頑張ることができたのかなと思います。

洗い場もサービスも様々な仕事を経験することになりましたが、「大変だな、頑張れよ!」というシェフの激励にすごく励まされました。

ご自身の店をオープンされたきっかけとは?

料理人として目指すことができる道というのは「独立して自分の店を持つこと」、「雇われシェフになること」、「職人になること」の3つだと思っています。

自分は独立して今までの経験を活かした店を作ることを選び、2011年9月に「リストランテ ケン ヴェンティクワトロ」をオープンしました。

店を作るということは、経営者として人に給与を支払ったり、店を存続させる努力も必要になります。身が引き締まりますね。

今までの仕事を通して

自分の好きなことを仕事にして好きであり続けるのはとても難しいことです。
好きと嫌いは裏表というように、好きだからこそ嫌いになる可能性も高いものです。

ただ、嫌だからと辞めるのは簡単ですが、工夫してどう乗り切るのか考える。
そして乗り越えることができれば自分のレベルが上がります。

工夫と言えば、是非おすすめしたいのが趣味を持つことです。
趣味を持って、自分の好きな分野で物の価値(なぜこれが高くてこれが安いのか?など)を知ることは、色々な形で参考になりますし、趣味や好みの変化は自分の変化を映す鏡。成長が感じられる部分です。
その変化を自分の仕事に反映していくこともできると思いますよ。

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