卒業生の声 沖山 克昭さん

Graduate's Voice

「人との出会い」に導かれて目指した料理人、そしてフランス。
今までに出会った人との関係が
今の自分を形作っています。

Abri
沖山 克昭さん

調理師科1年制卒(1996年3月)

「オーベルジュ・スズキ」「モナ・リザ」「ラ・ビュット・ボワゼ」など、国内の名だたる名店を経て渡仏。
フランスでは、「エクサ・プロヴァンス」「ラ・ターブル・ド・ジョエル・ロブション」「アガペ」などの星付きレストランを経て2012年年8月 自身の店「Abri」をパリに開く。「スケッチブック」の活動ではパリ・コレのケータリングなども担当した。

フランスの若者に人気のグルメ誌「Fooding」で、毎年10軒のみ選ばれる最優秀賞(中でも、“Fooding d'amour”<愛すべき店>)を受賞した「Abri」を経営する沖山さん。
今回、仕事の関係で帰国していた沖山さんに、幸運にも取材させていただくことができました。
沖山さんの現在に至るまでの苦労、学園での思い出話など色々なお話を聞かせていただきました。

沖山さんが料理の道を志した理由は?

高校まではスポーツ(陸上)が中心の毎日でした。陸上で大学に行くこともできたのですが、自分自身怪我も増えてきて進路を考えるようになって。その時、当時の担任の先生から「フランス料理人になれ」、と。 今考えても、先生がそう言った理由はよくわからないのですが、きっかけはあの先生の言葉だったと思います。

なぜ、服部学園を選んだのですか?

料理の道を目指すなら、直接店で修業をするという方法もあるな、と考えていましたが、母に「料理の道に進む」と告げたところ、服部学園の願書を取り寄せてくれて。母からのすすめで服部学園を選びました。

入学してみていかがでしたか?

調理の学校なので授業はほぼ実習だと思っていたんです。
でも実際は衛生の勉強や食品の勉強など、講義の授業も多くて。あまり勉強は好きではなかったので、思った以上に大変でしたね。
フランスで店を出すときにも講習があるのですが、実はフランスは衛生基準がすごく厳しいんです。
学生時代に学んだことは無駄ではないんだな、と実感しました。

学園生活の思い出は?

学園の野球部に所属していました。選抜メンバーに選ばれたこともあって先生と一緒にハワイ遠征に行ったり、よい経験になりました。
学園の先生達は気さくな人ばかりで、今でも時々学校に顔を出しているんです。先生達と仲良くなることができたのは嬉しいですね。

沖山さんはパティシエの経験もあるそうですが?

卒業後、学園の先生の薦めで「モナ・リザ」に勤務したのですがそこでパティシエの先輩にレシピを見せてもらって勉強しました。レシピだけではわからないところは先輩に質問して積極的に覚えました。その時には、学園でやっていた製菓の知識が役立つ所もありました。
自分は将来フレンチの料理人として店を出したい。なら、料理だけできればいいわけじゃないと思うんです。
実際に一緒に働くパティシエの方にわかったうえで意見を言えれば、お互いに理解しあえると思います。

卒業してからはどんなお仕事をされて来ましたか?

卒業後に最初に就職したのは「オーベルジュ・スズキ」。2年くらい働いた後に「モナ・リザ」へ。
「モナ・リザ」の恵比寿店で2年弱、その次は服部の先輩、森重シェフの「ラ・ビュット・ボワゼ」へ。
フランスに行きたいという思いは、料理の道に進むことを決めた時点からずっとありましたが、店にいる先輩達や同僚達もフランスで修業したいという人が多く、刺激になりました。

先輩の紹介でスイスとの国境辺りの店で3年半くらい経験した後、魚料理を学ぶためにノルマンディーの星付きレストランへ、次に「エクサ・プロヴァンス(2つ星)」に転職。
次は女性の下で働いてみようと訪れた店が実は閉店したところで、ジョエル・ロブション氏とフレデリック・シモナン氏による「ラ・ターブル・ド・ジョエル・ロブション」を作るところだったんです。

運命的なめぐり合わせですね?

そこで出会った後輩でもあるベルトラン・グレポシェフに誘われて「アガペ」にスーシェフとして入りました。
その当時、パリで人気のうどん屋で働き、そろそろ日本に帰ろうかと考えていたころでしたが、星がつくまでという約束で手伝うことにしました。でもわりとすぐに認めてもらえました。
そこを経て現在の「Abri」を開く形になりました。

人とのつながりが大切なんですね?

フランスに行って、様々な仕事で頑張っている日本人と出会いました。
そこでもう一つの活動である「スケッチブック」の仲間と出会い、料理人だけではない30名程度のスタッフで結婚式などの演出をしてきました。
パリ・コレのケータリングではひらめきで出したカツサンドが大好評で。
現在は週に2回程、「Abri」でランチにカツサンドを出しているんです。

フランスで開店するのは大変だったでしょうね?

周囲に日本人のオーナーシェフはあまりいなかったので、心配でした。現地では日本人がフレンチを作るというイメージがないんです。和食の店を出すのかとかなり言われました。
でも居酒屋やバーテンなど接客の知識が豊富な森下さんと出会うことができた。
それで実現できたんだと思います。

店をやっていて嬉しいことは?

フランス人のお客さんに来ていただけるのは嬉しいですね。
何度も来てくれるリピーターの方も多く、昨年8月の開店から今で40回以上も既に来てくれている方もいるんですよ(取材時:2013年8月現在)。なるべく色々な料理を食べていただきたいので考えるのにはちょっと苦労するんですけどね。

店は約20席程度。お客様との距離をなるべく近くしたいんです。価格も高くしすぎず、そこも若い方に好んでもらえる理由かも知れません。
いつかは2店舗目を出したいと思っています。日本にも出したいなと思います。

たくさんお話いただきましたが最後に後輩達へのメッセージを。

周りを見ていると30歳くらいのところでみんな立ち止まるんです。
店で修業し、技術は身についた、じゃあ次は?という年頃です。
そこへたどり着くまでの間に、自分の将来像を実現方法も含めて具体的に考えておくことが大切です。

取材班からみた沖山シェフ

たくさんのお話を気さくに話して下さった沖山克昭さん。お店の名前である「Abri」には小屋、安全な場所というような意味がある。過ごすお客様との距離を近くとって、楽しいひと時が過ごせる、そんなお店のイメージが湧いてくる親しみやすい人柄と海外で活躍する方の持つ力強さが印象的だった。

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