卒業生の声 伊牟田 博久さん

Graduate's Voice

変わらないおいしさの秘密は人にあり。

井筒まい泉株式会社
取締役レストラン事業本部長
伊牟田 博久さん

調理師本科卒業卒(1977年3月)

伊牟田 博久さん

昭和26年生まれ。昭和52年に服部学園卒業後、日比谷の三井ビルの地下にあった〈まい泉〉で働きはじめる。東横店の店長、店舗の統括責任者を経て、現在は井筒まい泉株式会社取締役レストラン事業本部長を務める。

『箸で切れるやわらかなとんかつ』で大人から子供まで人気の〈とんかつ まい泉〉40年以上、その発展を支えてきた服部OBである伊牟田さんからご自身のキャリアについてお話を伺った。

服部学園に入学した頃

私は元々、問屋さんで営業として働いていたんで、食とは関係のない世界にいました。その頃、たまたまふぐ料理人と友達になったんですけど、彼は当時の私の何倍も給料をもらっていてね。料理業界は技術さえあれば比較的多くの収入が得られる、と食の世界に興味を持ち、服部学園に入学したのは26歳の時です。夜、品川で喫茶店をやっていた知り合いを手伝いながら、昼は学校に通いました。

とんかつという料理との出会い

義理の父がとんかつのファンでね。自分でも調べてみたんですけど、とんかつって捨てるところがない素晴らしい料理なんです。材料の無駄がなく、多くの人に食べさせることができる。日本人は揚げ物が好きだし「自分もいつかはとんかつ店の経営者になろう」と在学中から考えていました。

卒業後は日比谷三井ビルの地下にあった井泉、のちのまい泉に入社しました。まい泉もその頃はそこ1店しかなくて、はじめの仕事は出前持ち。その後、ホールでお茶を出したり、注文をとったりというお客様対応をして、次に原宿にあった工場で肉の成形であったり、パン粉付けといった仕事を覚えていきました。東横店の店長になったのは32歳ぐらいの時かな。3店舗を運営していました。

当時はすごく仕事が厳しくて、ずっと働いていましたね。それこそ、仕込みが間に合わないですよ。青山本店もオープン当初は行列ができて、途切れなかった。1週間に1回休めるか、という生活でした。今ではそんなこと許されませんから、うちの社員は週休2日。経営会議でも長時間労働は必ず是正するようにしています。結局、そうしないと従業員もいい仕事ができないんですよね。

仕事を続けてきた理由

仕事がきつくても続けられたのは仲間がいて、経営者の志が理解できたから。一代でこの会社を築きあげた創業者の小出さんからは主婦の感覚、お客様を大事にするということを学びました。

その後は管理部の人事畑にいたんですが、37歳か、38歳くらいの頃、独立を考えて、すごく悩んだんです。物件も探しましたが、当時家賃がすごく高かったこともあって、ここで頑張ろうと決めました。もちろんまい泉から独立して、成功している方もたくさんいますよ。ただ、自分はここにいる人を育てていきたい、と思ったんです。

どんなお店もそうだと思うんですが、人は財産です。教育は重要ですし、また人に教えることで自分も学べます。まい泉も2008年にサントリーグループの傘下に入り、家業のいいところを残しつつ企業として発展するため、事業部制に移行しました。飲食店は厳しい時代ですが、幸いなことに順調に売り上げを伸ばしています。ただ、むやみやたらに店舗を増やすのではなくて、きちっと適した場所に出店していこうということは社として大切にしています。

服部学園で学んだこと

1年か2年で料理を学ぼうとしてもなかなか憶えられませんよ。でも、食ってこういうものだよっていう基本を学びました。また食中毒など食の安心、安全の話を聞きながら、私はそれをどう経営にいかせるかな、って考えていました。

基本的なことさえわかれば後は経験するだけです。まい泉はもちろんとんかつのお店ですが、宴会も請け負っているので和食から寿司の職人までそれなりの人間がいます。ですから、ここですべてを学ぼうと思えば学べます。

うちにはレストラン事業、デパート・エキナカにおける惣菜販売の百貨店事業、高級スーパー等への卸し売りのリテール事業、ケータリングという4つの柱となる事業があります。昔は調理に入っちゃうとずっとその世界だったので、やっぱり飽きてしまう。今はそういうことがないようにそれぞれを回ってもらっています。

仕事は料理だけではなく全部を知るっていうことが大事です。肉の選別から仕込み、パン粉付け、またはホール、レジ業務、すべてを憶えないと1人前とは言えませんから、そこはずっと勉強ですかね。私自身も自分が1人前になったとはまだ全然、思っていません。

まい泉の味の秘密

『箸で切れるやわらかなとんかつ』の秘密は肉を叩いて伸ばして、元の形に戻すという独自の技法を肉に施しているからです。他所でもかつサンドはありますけれど他の店ではちょっと真似できない。でも、それだけではなくて、うちはとにかくお肉にこだわっているんですね。

料理で1番大事なのは素材だと考え、まい泉では『甘い誘惑』というオリジナルのブランド豚の研究も進めています。中ヨークシャーという品種は昭和30年代には日本の豚の95%を占めていましたが、生育が遅く、効率が悪いので今は絶滅寸前の希少な存在になってしまいました。でも、本当においしい豚なので、まい泉では生産者と1緒にそうした事業にも取り組んでいます。うちはサンドイッチが1日平均3万箱出るのですけど、飼料にはそのパンの耳を活用しています。パンの耳って豚の餌として非常にいいみたいで、与えると味が本当に違うんですよ。肉が甘く、質が良くなる。豚しゃぶにしてもアクが出ないほどです。

最近では北里大学と共同で熟成豚にも取り組んでいます。4週間の熟成で豚の旨味がピークに達するということがようやくわかったんです。かつサンドひとつとっても、毎月、パンから肉、ソースに至るまでお客様に飽きられないようにもっと美味しくならないか、と絶えず研究を続けています。

妥協しないこと

服部校長がメディアに出られることで、料理人がテレビなどでも活躍できるようになりました。これからは例えば居酒屋で働くのではなく、居酒屋を経営したいという志を持った人が増えてくれればいいですよね。

料理で重要なのは妥協をしないということだと思います。例えばとんかつでもお客様に提供する前に店長がデシャップでチェックします。その時、質が低いものが上がってきたらお客様に出さないってことが大事。忙しくなってくるとどうしても雑になってくるけど、そこで妥協してはいけない。しっかりしたものをお客さんに出すということです。もちろん仕入れも同じです。違うなと思うものがきたら仕入れ先にも伝えないといけない。それはお互いにとっていい、教えてあげることは大事。まい泉は食材には特にこだわってます。

関連情報

とんかつ まい泉

昭和40年、一介の主婦だった小出千代子が創業し、現在ではレストラン11店舗/店舗・百貨店61店舗を展開するなど着実な発展を続けている。現在の社員数は363人(うち8名が服部学園出身者)井筒紋をベースにしたまい泉のロゴは泉のように湧き出た水が四方八方に広がるイメージを図案化したもの。“まい”という名前には社員一丸となって〈邁進する〉気持ちが込められているという。銭湯を改装した青山本店はその建物も見所の1つ。

とんかつ まい泉内観

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