卒業生の声 相内 泰和さん

Graduate's Voice

食で人生を豊かにしたい。料理で社会に貢献したい。
いくつになっても夢は実現できる。

一般社団法人日本ガストロノミー協会(JGA)理事
相内 泰和さん

調理師本科(昼1年)

相内 泰和さん

なぜ61歳で料理学校へ入学されたのですか?

自分で店を持ちたいとかオーナーになりたいといった目標はありませんでした。目的は、料理を通して社会貢献をすること。料理をしっかり学んで資格があれば信頼され、機会を得やすくなると思ったからです。

もともと料理が好きで、子どものころから母の料理の手伝いをしていました。社会人になっても料理好きの趣味は変わらず、外資系投資銀行に勤務していたころはよく取引先の財務担当役員夫妻を自宅に招待し、コース料理をふるまったりするほどでした。

転機は東日本大震災でした。被災地のボランティアに参加し、学校の校庭でバーベキューや焼きそばなどを作ったのですが、大人も子どももみんな喜んでくれるのを見て胸が熱くなりました。あたたかい食べ物にみんな笑顔になっているのが嬉しくて、「ああ、本当はこういうことをしたいんだ」と。
そして銀行員をやめて料理を勉強することを決意。会社からは引き止められましたが決意がゆらぐことはありませんでした。

料理専門学校は、有名店シェフが直接教えてくれることで評判の服部を選びました。入学すると、飲食業界とのパイプが強く絶えず外部からの出入りがある風通しの良さを実感しました。若い人が将来の就職先探しをするにも大変有利な学校だと思いますよ。

服部栄養専門学校での学びで印象的だったことは?

とにかく先生方が熱心で、本当に真剣に教えてくださっているということに感動しましたね。
生徒は 18 から 22 歳くらいの若者が中心ですが、中には40代、50代、私のような60代もなぜか紛れ込んでいる(笑)。しかし全員に対して本気で向き合いコミットしてくれていることがすごいと思いました。
また、学校の名前をあえて「栄養専門学校」としていることに現れているように、座学が非常に充実していました。入学前は、料理専門学校だからほとんどが包丁を握る実技だろうと思っていたのですが、実際は約半分が座学でびっくりしました。

しかし卒業後に気がついたのですが、料理人としていざ現場に出ると、もう勉強する時間はほとんどないんですよね。学校で得るような知識は、社会人になってから身につけるのは本当に大変です。たしかに座って聞いてノートを取る授業は若い人にはつまらないかもしれませんが、一度学校で勉強したことはあとから振り返ることができます。就職してからも、何かあったときに「あ、そういえば習ったような気がする」と、思い出すことができます。私は今でも教科書やノートは全部とってあり、年に数回見返しています。
食に携わる者として、生涯役に立つ知識を積み重ねることができる貴重な時間だったと思います。

現在はどのような活動を行っていらっしゃるのですか?

大きく分けて3つあります。
1つは、日本ガストロノミー協会での活動。私は理事を努めています。「食」で人生を豊かにしようという目的で設立された協会で、作る楽しみ、食べる楽しみ、知る楽しみを広げるさまざまなイベントを開催しています。

2つめは、函館牡臥牛倶楽部の正会員としての活動。函館で開催される世界料理学会in Hakodateと函館バル街で手伝いや料理をしています。

3つめは、食で社会貢献すること。食の知識や技術を使ってボランティア活動を通じ社会貢献をしています。最近の活動では、昨年12月にウクライナからICUに留学している学生5人を招いて食事会を開催しました。

日本ガストロノミー協会のイベント
左から大木淳夫 協会理事(「東京最高のレストラン」編集長)、柏原光太郎 協会会長(元「東京いい店うまい店」編集長、文藝春秋勤務)、マッキー牧元 協会副会長(タベアルキスト)

ウクライナからの留学生との食事会について詳しくお聞かせください。

現在約50名のウクライナ人大学生が親元を離れて日本で学んでいると聞いています。そんな留学生たちに喜んでもらえるように、ウクライナ料理や日本料理を楽しむ交流会を開きました。招待したのはICU在籍の5人のウクライナ人。ICUは私の母校でもあるので、大学側も喜んで提案を応援してくれました。
努力の甲斐あって、招待した学生たちはとても喜んでくれました。昨年の5月以降に来日した学生たちなのですが、この状況なのでまだ帰国することができません。クリスマスや年末年始、他国からの大学生がみんな帰省する中、ウクライナの学生たちだけは帰れず寮に残っていました。そんな彼らが料理で故郷を思い出し、笑顔を見せてくれたことが何より嬉しかったですね。食を通じて国境を超えた幸せなひとときでした。 後日、大学の学長を含む多くの関係者からお礼のメールをもらいました。

食事会ではどんな料理を用意されたのですか?

ウクライナ料理、日本料理を交互に、最後にデザートです。
私自身、海外赴任で長期間外国で生活することが多かったのですが、毎日外国のものばかり食べていると日本の食事が恋しくなったものです。ウクライナから日本に来て半年、おそらく毎日寮で出される食事を食べているだろう、きっと母国の料理が食べたいだろう・・・。
そう考え、ウクライナ料理を出すことにしました。
この日のためにウクライナ料理について勉強しました。2ヵ月かけて5冊のレシピ本を海外から取り寄せ、ボルシチやビーフストロガノフなどの由来から作り方までを調べ、試作を繰り返しました。
レシピ本のまま作るのもよいのですが、服部で学んだ西洋料理(フランス料理)の知識を活かしつつアレンジ。日本料理とデザートを担当した友人達と打ち合わせを重ね、学生たちに喜んでもらえるメニューを考えました。
この企画で勉強したおかげで、ウクライナ料理についてかなり詳しくなりましたよ。ウクライナ料理といえばビーツとニシン。豊洲、築地、函館の市場関係者と連絡を取り、年末で魚の入荷が激減するなか、塩漬けにする新鮮な生のニシンが調達できるよう奔走しました。 これがきっかけとなって、ウクライナ料理を日本で広める活動を、ウクライナ大使館と共同で始めることになりました。記念すべき第一回のイベントではウクライナ大使にも料理をしていただき、イベントのことは日本とウクライナのテレビのニュースで流れるようです。

今後の活動計画、展望などをお聞かせください

食を通じて自分のできる範囲で社会貢献をしたい、という思いは昔も今も変わりません。たとえば地方都市の高齢者の集いで料理をふるまうとか、地震被害で仮設住宅暮らしの人々においしい料理を提供するとか。私と同じような志のボランティア数名とあれこれ案を出し合って考えていたところコロナ禍となり実行できないままになっていたので、ウクライナ食事会のようにできるところから着実に実現し、人々の役に立っていきたいと思っています。

卒業生の声ナビ

ページトップ