卒業生の声 保坂 慎一さん
Graduate's Voice
料理の世界はやっぱり厳しい。
でも厳しさの向こうに夢があります。
自分のつくった一皿が、人を幸せにする。そんな仕事です。
フランス料理「ラトラス」
保坂 慎一さん
調理師科卒(1993年3月)
- 1993年
- 赤坂「ビストロサンノー」就職
- 1996年
- 渡仏
- 1997年
- 帰国後、青山「ロアラブッシュ」にて修行
- 2001年
- 独立開業「ル・ブション」をオープン
大学時代に飲食店でウェイターやバーテンダーなど、接客のアルバイトをしたことから、食の世界に興味を持ったという保坂慎一さん。服部に入学し、その道の深さを実感することに。
“服部”で見つけた夢
大学での就職活動では、外食産業を中心に活動していたが、自分の目指す道とサラリーマンという仕事に違和感を感じた保坂さん。「調理学校へ行き、食に関する知識やレストランプロデュースを知ろうと思ったんです。その時はまだ料理人になろうとは思っておらず、『将来何かの形で店を出したい、その助けになれば』という考えでした」と話す。今でこそレストランなどの空間プロデューサーという肩書きを持つ人も多くなっているが、当時の保坂さんもレストランの席に座って、その空間や内装に合った料理は何か、とよく考えていたそうだ。
服部での一年間は本当に楽しかったという。「同じ目的を持った友達と、担任の酒井先生がとても大きな存在でした。先生は僕と同じB型でお互いにマイペース。考えていることがすぐにわかってしまうみたいで。その頃には料理自体に興味を持ち始めました。先生に『無給でもいいからフレンチレストランで研修させて欲しい』と頼んで、西麻布にある店で研修させていただきました。」そこではキッチンから出される料理を見て、何でこんな料理ができるのか、と日々驚きを感じていたという。グルメピックという、調理師学校の学生による料理コンクールにも挑戦した。「当時のクラスメイトで、この店で以前料理長だった入江と一緒に、服部代表として参加しました。その時も酒井先生に訓練を受けましたね。普段とは違う先生の気合に圧倒されるとともに、その手際や料理の仕上がりに魅了されました。」努力の甲斐もあって、コンクールでは企業協賛賞を受賞したそうだ。
修行時代から念願の独立へ
就職活動で大変な思いをしながらも、一流店で基本を学び、更に本場フランスの星つきレストランで修行。帰国後、その能力を開花させることになる。「どうしても一流店に行きたかったので、先生方を通じてお願いしたのですが、大学卒業で年齢も高いので、断られてしまい、就職先がない状態でした。その時、先生に赤坂の「ビストロサンノー」を紹介していただき、同じく大卒だった砂山シェフに拾っていただいたんです。」「ビストロサンノー」で過ごした3年間は保坂さんの料理の基礎になっている。シェフからは料理の、マダムからはサービスのイロハを徹底的に教えてもらったという。 「フランスのレストランは料理に関しては、日本と大差ないと思います。ただ、センスやプロデュースが違うんです。盛り付け、カラー、サービス、インテリア…全てが芸術なんですよ。今でも、料理に行き詰るとフランスに出かけたくなりますね。」なかなか思うようには行けないそうだ。
帰国後は、青山の「ロアラブッシュ」で2番手として働いた。その内に、独立を意識する時が訪れた。「料理をしていると『これはもう充分一人でできる、自分の料理を出してみたい』と思う時があるんです。でも、実際に独立して夢が叶い、自分の出したい料理が出せるかというと、出せないものです。僕の場合も、本当に自分の料理が出せるのは、まだまだ先だと思っています。」自分の料理を提供するには、まず自分達が成長しなければならない、と保坂さんは話してくれた。「オーナーの独りよがりでもスタッフは疲れて辞めてしまいます。スタッフのできる範囲で、自分達もお客様も魅力を感じる料理を考え、メニューを構成していかなければ。またオーナーになると、料理だけに携わっていればいいわけではありませんが、でもオーナーシェフという名前を出した以上は、ホールに出なければなりません。そういう現実は、夢を追って、どうにか認められたい、独立したいと思っている時には、イメージが見えてこないものなんです。」夢を実現することの難しさを語ってくれた。
オーナーは、一日の充実感と手応えは十分な仕事。常に緊張感があって崖っぷち(?)ですが、現在、オープンして9年になりました。特別な宣伝をしなくても、口コミでお客様に来ていただけるようになってきました。地域の皆さまにも愛されて、育てていただいております。