卒業生の声 池田 順之さん

Graduate's Voice

憧れて飛び込んだホテルで総料理長に就任
使命は〝オークラの味を守る〞こと

The Okura Tokyo(オークラ東京) 総料理長
池田 順之さん

調理師本科夜間部(1.5年)卒業

田 順之さん

1956年、東京生まれ。服部栄養専門学校夜間部を卒業後、ホテルオークラに入社。ホテルオークラアムステルダム勤務を経て、2009年に「ラ・ベルエポック」総料理長、2015年に洋食調理部総料理長に就任。2019年のThe Okura Tokyo開業後も継続し、現職。

「ちょっと急ぎすぎなんだよ。もう少し慎重にやれよ!」
冷製料理を作るコールドルームで前菜の盛り付けしている若いスタッフに、池田順之総料理長の声が飛ぶ。瞬間、室内に緊張が走るかと思ったが、空気はいたって穏やか。「もう、やっちゃいました……」と若いスタッフが呟けば、池田さんも「うるさいなぁ、まったく」と笑いながら軽口をたたく。コー ルドルームで作業をしている他のスタッフ達も〝ニヤニヤ顔〞。みんな、これが池田流のコミュニケーション術だと分かっているからだ。

「もちろん、叱るときは容赦なく叱りますよ。やってはいけないことや間違ったことをやったスタッフを見過ごすことはしません。でも、料理は基本的に楽しく作るものだと私は思っています。楽しく作って、楽しく食べる。その環境を作り、維持することはキッチンを司る私の務めだと思っています。そのことは、総料理長になった時に肝に銘じました」と、池田総料理長は言う。下町生まれの江戸っ子。言葉はキツいが、人情は人一倍厚い。

小学生の頃から、西洋料理の料理人になりたいと思っていた。高校時代の先輩が「ホテルオークラ東京」の料理人になったと聞き「自分もなりたい」と憧れた。「でも、私が高校を卒業する時は料理人の募集がなくて、アルバイトとして『ホテルオークラ東京』に入って、サービスをやりました。その間、夜は服部栄養専門学校の夜間部に通って勉強をしました」

ただ、それほど真面目な学生ではなかったらしい。「最初から西洋料理の料理人になりたいと思っていたので、日本料理や中国料理の実習などは、結構、サボっていましたね(笑)」
アルバイトで入った約10カ月後、調理場に 空きが出たということで中途採用され、晴れて「ホテルオークラ東京」の料理人となった。「今までの経験から私が感じたのは、仕事のやり方や調理の仕方、味などは、レストランによって千差万別だということ。調理専門学校で勉強したことが、そのまま現場で通用することはまずありません。でも、食材の基本的な切り方や火の入れ方などは変わらないので、服部栄養専門学校で勉強しておいて良かったと思いました」

コールドセクションに配属されて最初に任されたのは、同セクションのスタッフ約30人分の朝食を作ることだった。とはいえ、コールドセクションにある食材といえば、スモークサーモンや葉野菜、伊勢エビくらい。「いろんな部署の責任者のところへ行って、まかない用の米や肉を分けてもらい、朝食を作り続けました。中には意地悪な先輩もいて、厚焼き卵を出したら『卵は嫌いなんだよね』と。頭にきて1週間卵料理を出し続けたら、さすがに最後の日は食べてくれました。『どうだ、ざまあみろ』って感じですよね。俺、下町の悪ガキだったから...(笑)」
コールドセクションからホットセクションに移ったときは、オムレツで苦労した。「コールドセクションでオムレツを作ることはありません。自腹で卵を買って、家で毎日オムレツ作りを練習しました。おかげでウチの両親は、私が作るオムレツを毎日食べさせられていました(笑)」

その後、「ホテルオークラ アムステルダム」勤務を経て「ラ・ベル・エポック」の料理長を務め、2015年に洋食調理総料理長に就任した。もちろん、この間すべてが順風満帆だったわけではない。
「特に『ラ・ベル・エポック』の料理長をやっていた時代は、いちばん激しかったです。今で言うパワハラ上司のような存在だったかもしれません。厳しさの根底には、お客様には迷惑をかけられない、という強い意識があったからです」
当時でも「ラ・ベル・エポック」のコース料理は3万円近くした。にもかかわらず、料理ができてもサービス担当がすぐに取りに来ない。
「料理は出来た時が勝負なのに、合図をしても取りに来ないなんてあり得ないでしょう。痺れを切らして、自分で料理をお客様のところまで持って行ったことが何度もありました」
宴会の時もそうだ。「例えば200名の宴席があったとします。料理人にとって一人のお客様に出す皿は、 200分の1です。でも、お客様にしてみれば、目の前の皿が唯一。だからこそ、199の皿がうまく出来ていても、1つの皿がダメだったら、私はめちゃくちゃ叱ります。お客様にご迷惑をかけるからです」
総料理長になってからは、その意識がさらに強くなったという。「スタッフ全員にこの意識を持ってもらうために『なぜ、これがいけなかったのか』『なぜ、私が厳しく叱ったのか』など、理由をきちん と説明するようになりました」

池田さんが料理長を務めたかつての「ラ・ベル・エポック」
オークラ牛のブッフサレとクリームチーズと穴子のガトー仕立て
池田さんも薫陶を受けた創業当時の総料理長の小野正吉さん(左から2番目)

総料理長の仕事は、「ヌーヴェル・エポック」など、館内レストランの人材・運営管理や婚礼をはじめとする宴会のコースメニューを考えることだ。「メニューだけを渡していた時期もありましたが、文字だけだと私が考えた料理と全く違う料理が出来上がってくることがあります。そのため最近は、絵も描いてメニューに添えるようにしています。私には『ホテルオークラの味を守る』という使命がありますから」と池田総料理長は背筋を伸ばす。オークラフレンチの礎を築いた故・小野正吉総料理長から脈々と受け継がれてきた味を、実際の料理として後世に伝えていかなければ いけない。「オークラの味の継承。それは私に課された大きな仕事です。きちんとまっとうしたいですね」と話す池田総料理長。その笑顔は、どこまでも晴れやかだった。

※料理王国「2023年6月号」に掲載された記事です。

The Okura Tokyo(オークラ東京)

東京都港区虎ノ門2-10-4

https://theokuratokyo.jp

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