卒業生の声 望月 将さん
Graduate's Voice
海外客からの評価も高く、2025年版ミシュランに掲載
鮨 神楽
店主
望月 将さん
調理ハイテクニカル経営学科

卒業後、1935年創業の老舗鮨店「銀座 久兵衛」で12年間研鑽を積む。中目黒「鮨 おにかい」「鮨 おにかい+1」の立ち上げに参加したのち独立を決意。2021年、新橋駅の近くに「鮨 神楽」をオープン。特にマグロの仕入れにはこだわる。海外客からの評価も高く、2025年版ミシュランに掲載。
飲食店がひしめき合うサラリーマンの街・新橋。駅から徒歩5分ほどの路地裏に「鮨 神楽」は静謐な空気を纏い、たたずんでいる。2021年の開店以来、その確かな目利きと技術が生む鮨が評判を呼び、今年のミシュランセレクテッドレストランにも選出された。店内はカウンター9席、視覚を刺激しないダウンライトが灯る。メニューも、夜は20品目のコース一本のみとシンプルだ。「あくまでもお客さんと鮨が主役なので」と、語るのは店主の望月将さん。その、引き算の美学にこだわる感性はどこから来たのだろうか。
望月さんは静岡市出身、年子のお姉さんと共働きの両親のもとで育った。
「母の手伝いで食材を触ったり包丁を握るのが苦ではなくて、小学生の頃からぼんやりと料理人になるという夢がありました。でもサッカー選手や弁護士とか、目移りもしましたよ。父とはよく釣りに行き、キスやカワハギ、イシモチを塩焼きにして食べました」
高校は農業系の専門学校へ進学し、多少調理のことも学んだ。そのまま県内の調理師学校進学を考えていたが、たまたま新任の進路指導教員が「何を学ぶにしても東京行かなきゃ意味ないよ」と助言をくれ、上京を決意。服部栄養専門学校への入学は、オープンキャンパスの印象で決めた。「細部まで綺麗で清潔、単純に格好よかった」と望月さん。当初はイタリア料理かフランス料理のシェフに憧れたが、実習でいくら作ってもあまり感動しなかったという。「おいしいものを作れる気がしなくて。考えてみると、味にしても飾り付けにしても足し算なんです。自分はシンプルな方が好きなんだ、と実感しました」。和食を目指す人はごく僅かで、クラスメイト約50人のうち鮨職人を目指したのは望月さんただ一人。それでも数人の友人とは今でも交流があるそうだ。「今も、近況報告も兼ねてお互いの店を訪ねたり、休日に遊んだり。料理を続ける仲間として支えになっています」。
卒業後は「銀座 久兵衛 京王プラザホテル店」に就職した望月さんだが、その経緯も実に明快だ。2年生の時に行われる一ヶ月の現場研修で、どうせなら一番有名な店で、と「銀座 久兵衛」を志望。当然厳しいことも言われたが、どれも納得できるものだったという。研修が終わる頃、アルバイトを募集することを知り「僕、このまま入っていいですか」と志願。さらに卒業間近になると「このまま就職していいですか」と最短距離で決めた。「昔から簡潔、端的に答えを求めるタイプ。悩むこともあるけれど、その時間がもったいないので(笑)プラスに繋がる次の手を考えますね。深く考えないだけです」と照れ笑い。
「久兵衛」では6人の同期と肩を並べた。始めは先輩の仕事の下準備やクルマエビの皮剥き、アジやコハダ、カンパチなどの下処理を任された。俗に言う「追い回し」である。2~3年で徐々に焼き場、炊場、巻物、桶物、宴会場の握りと仕事の範囲が広がり、ようやくカウンター前で握らせてもらえたのは9年目に入った頃。「常時9人の板前で、ホテルの宴会場で提供する数百人分を握ることもままありました。100人前で400貫ですから、1000貫を超すことも。個人店の一生分は握ったと思います。おかげで今、大抵のことはキツイと思いません」。
それでも3年目くらいまでは悩むこともあったという。技術を積み重ねている段階で、出来ない自分に腹が立った。幸いにも試行錯誤の機会は毎日、大量にあった。
「技術は一朝一夕に身につくものでないと理解していたので、漫然と手を動かさず、頭を使いました。今この角度でうまく行かなかった、じゃあ次は? と切り替える。まぐれで成功することはあっても、失敗には絶対何か理由があるので、探し出す。その繰り返しです」データベースが頭の中に積み上がってからは、早かった。あとは適切に引きだしを開ければいい。いかに手数をかけずに早く、美しく仕上げるか。この聡明さが望月さんの傑出した才能だ。「ただの面倒くさがりです」と笑うが、面倒くさがりも真剣に追求すると、ある種の美学に到達することを教えてくれる。
修業12年目を迎えた32歳の時、自分の幅を拡げてみたいと転職を決意。創意工夫を凝らした“くずし鮨”がコンセプトの中目黒「鮨 おにかい」の立ち上げに参加すると、望月さんの気持ちに変化が表れる。「自分の頭の固さを打ち砕かれました。いつのまにか“鮨はこういうもの”という固定概念をもってしまっていた。社長が革新的な人で、あらゆる角度から刺激を受けました。メニュー会議で魚やお酒の新しいアイディアを出したり、原価計算や店舗運営を横で見ながら、自分の店を持つのも面白そうだなと」「神楽」を作るにあたっては、やはり静かでお客様が肩肘張らずに楽しめる店にしたかったという。値段設定もそうだ。「僕自身は控えめでいたいですね。華がないのが神楽さんの売りだね、と常連さんにも言われます(笑)。お客様と会話しながら握っていると、この仕事を選んで良かったなと思えます」。
今、望月さんは、日本の飲食業界の将来を考え、職業体験の講師など後進の育成にも力を入れはじめた。「10年後、この社会がどうなっているか、考えます。けれど食は人間にとって欠かせないもの。失われつつある日本人の心遣いなども、鮨を通じて世界に伝えていきたい。時代の流れは早いですが、身につけた技術や知識は廃れないと、信じてやるだけです」。
※料理王国「2025年8月号」に掲載された記事です。





